VUCA時代を生き抜くリーダーの「本質直感」とは〜

皆様こんにちは。エグゼクティブコーチ協会の伊藤義訓です。このコラムでは、リベラルアーツの知恵とエグゼクティブコーチングの実践を結びつけ、現代のリーダーシップに役立つ視点を提供してまいります。

変化が激しく、将来の予測が困難なVUCA(ブーカ)と呼ばれる現代。このような時代において、リーダーには従来の分析や計画だけでは乗り越えられない複雑な課題に立ち向かう力が求められています。そこで注目されるのが「直感」です。

リーダーに必要なのは「本質直感」

リーダーに求められる「直感」とは、単なる「勘」や「思いつき」ではありません。それは、物事の表層ではなく、その核心を見抜く深い洞察力、いわば「本質直感」と呼べるものです。この概念は、20世紀の哲学者エトムント・フッサールによって提唱されました。彼は、私たちが普段認識している世界の背後にある「本質」を捉える能力として、この直感を重視しました。

複雑な状況下で、膨大な情報を瞬時に処理し、最適と思われる判断を下す。あるいは、まだ誰も気づいていないビジネスチャンスの萌芽を発見する。これらは、まさにリーダーが持つべき「本質直感」がもたらす力と言えるでしょう。

日本企業が陥りがちな「三つのオーバー」という罠

しかし、現代の組織、特に日本企業においては、この「本質直感」を鈍らせてしまう要因が存在すると警鐘を鳴らす識者がいます。経営学者の野中郁次郎氏は、著書『直感の経営』などで、日本企業を停滞させた要因として「三つのオーバー」を挙げています。

オーバーアナリシス(過剰分析)

分析に時間をかけすぎ、本質を見失い、行動が遅れる。

オーバープランニング(過剰計画)

計画を精緻に立てすぎるあまり、変化に対応できなくなる。

オーバーコンプライアンス(過剰法令遵守)

ルールや形式にとらわれすぎ、挑戦や創造性が失われる。

これらの「オーバー」は、一見すると合理的な判断やリスク回避のために必要なように見えますが、行き過ぎると、変化への対応力を奪い、リーダーや組織全体の直感を封じ込めてしまう危険性を孕んでいます。データやロジック偏重の意思決定プロセスは、時に本質から目を逸らさせ、最適解を見誤らせる可能性があるのです。

直感の効用

羽生善治氏が語る「見えないけれどあるもの」

では、直感はどのようにして私たちを助けてくれるのでしょうか。将棋棋士の羽生善治氏は、その著書『直感力』の中で、直感の重要性について繰り返し語っています。膨大な対局経験と深い思考に裏打ちされた彼の直感は、時にコンピュータの計算能力をも凌駕する「神の一手」を生み出してきました。

羽生氏は、直感とは「膨大な知識や経験、思考が脳内で高速処理され、意識に上る前に最適解を導き出すプロセス」に近いものだと述べています。彼はまた、「見えないけれどあるもの、それを感じ取る力が直感である」とも語り、論理だけでは捉えきれない領域を認識する力としての直感の効用を示唆しています。これは、まさにフッサールの言う「本質直感」と通じるものがあると言えるでしょう。

「本質直感」を磨くために

「エポケー」とエグゼクティブコーチング

では、どうすれば私たちは「本質直感」を磨き、変化の時代に対応できるリーダーシップを発揮できるのでしょうか。ここで再びフッサールの哲学がヒントを与えてくれます。彼が提唱した「エポケー(現象学的還元)」という態度です。

エポケーとは、自分が持っている先入観、固定観念、あるいは常識といったものを一旦カッコに入れ、判断を保留し、目の前にある事象そのものに意識を集中させる態度を指します。過剰な分析や計画、ルールへの固執といった「三つのオーバー」から意識的に距離を置き、フラットな目で状況や課題の本質を見つめ直すのです。

この「エポケー」の実践を助けるのが、私たちエグゼクティブコーチの役割でもあります。エグゼクティブコーチングにおける対話や問いかけは、リーダーが自身の思考の癖や感情の偏りに気づき、それらを一旦脇に置く「エポケー」のプロセスを促します。内省を通じて、自身の内なる声、すなわち「本質直感」に耳を澄ませ、より深いレベルでの自己理解と洞察を得ることを支援します。

おわりに

VUCA時代において、リーダーには論理や分析力に加え、物事の本質を捉える「本質直感」が不可欠です。野中郁次郎氏が指摘する「三つのオーバー」に陥ることなく、羽生善治氏が示すような直感の力を引き出すためには、フッサールの言う「エポケー」の態度、すなわち一旦立ち止まって本質を見極めようとする姿勢が重要となります。エグゼクティブコーチングは、そのための有効なツールとなり得ます。

「本質直感」を磨き、未来を見据えた意思決定を行うこと。それが、これからの時代に組織や社会をより良い方向へ導くリーダーの鍵となるのではないでしょうか。